Cloudflareという新たな統治基盤 — エッジに遍在する不可視のOS

かつてインフラは所有するものだった。今やそれは借りるものとなり、やがて意識されないものとなる。Cloudflareの技術的進化を追うことは、Web空間における新たな権力形態の誕生を目撃することに等しい。

遠藤道男執筆 遠藤道男
Cloudflareエッジコンピューティングインフラストラクチャ権力技術哲学

Cloudflareを「CDN企業」と呼ぶことは、もはや正確ではない。それはGoogleを「検索エンジン」と呼ぶのと同じくらい時代錯誤だ。現在のCloudflareは、Web空間における実行基盤 — いわばオペレーティングシステム — へと静かに、しかし確実に変貌を遂げている。この変化を理解するには、技術的詳細を追うだけでは不十分だ。我々はここで、デジタル空間における新たな統治様式の誕生を目撃しているのだから。

かつてWebアプリケーションを構築するということは、サーバーを所有または借用し、そこにコードを配置し、データベースを設定し、ストレージを確保し、ネットワークを構成することを意味した。開発者は物理的な — あるいは仮想化された — リソースの管理者であり、インフラの詳細を熟知していなければならなかった。AWSやGCPの登場により、この複雑性は抽象化されたが、本質的な構造は変わらなかった。我々は依然として「どこか」にあるサーバーにコードをデプロイし、「どこか」にあるデータベースにデータを保存していた。

Cloudflareが提案するのは、この「どこか」の完全な消去である。Cloudflare Workersは、コードを特定の場所に配置しない。それは世界中に分散された330以上のデータセンターに同時に存在し、リクエストが発生した場所に最も近い地点で実行される。開発者が書くのはJavaScriptまたはWebAssemblyであり、それがどこで実行されるかを意識する必要はない。D1データベースは自動的にレプリケーションされ、R2ストレージはグローバルに分散され、KVストアはエッジで瞬時にアクセス可能となる。Durable Objectsは状態を持つアプリケーションをエッジで実現し、Queuesは非同期処理を、Vectorizeは機械学習の埋め込みベクトルを、Workers AIは大規模言語モデルの推論を — すべてエッジで提供する。

これは単なる技術的進歩ではない。ここで起きているのは、開発者とインフラの関係性の根本的な再編である。伝統的なクラウドモデルでは、開発者は依然としてインフラの「管理者」だった。AWSのEC2インスタンスを起動するとき、我々は特定のリージョンを選択し、インスタンスタイプを指定し、ネットワーク設定を構成する。これは権限を持った主体としての行為だ。しかしCloudflareのモデルでは、開発者はもはや管理者ではない。彼らはプラットフォームの「利用者」となる。インフラの詳細は完全に抽象化され、開発者が書くのはビジネスロジックだけだ。スケーリング、レプリケーション、フェイルオーバー、地理的分散 — これらすべてはプラットフォームが「勝手に」処理する。

フーコーが『安全・領土・人口』で描いた統治性の変容を思い起こさずにいられない。主権的権力が「死なせるか、生きるままにしておく」ものだったのに対し、近代的な生政治的権力は「生かすか、死の中へ廃棄する」ものとなった。同様に、伝統的なインフラ管理が「設定するか、放置する」ものだったのに対し、Cloudflareのモデルは「最適化するか、存在させない」ものとなる。開発者の意図は自動的に最適な形で実現されるか、あるいはプラットフォームの制約に適合しない場合は単に実行されない。ここには交渉の余地がない。

技術的には、これは驚くべき達成だ。従来、エッジコンピューティングの最大の課題は状態管理だった。CDNは静的コンテンツの配信には優れていたが、動的なアプリケーションロジックやデータベースアクセスは依然として中央集権的なサーバーに依存していた。Cloudflareはこの限界を次々と突破してきた。D1はSQLiteベースの分散データベースとして機能し、Durable Objectsは一貫性を保ちながら状態を持つオブジェクトをエッジで実行可能にする。これらの技術により、完全に分散されたアプリケーションが現実のものとなった。理論上、Next.jsやRemixといったフルスタックフレームワークで構築されたアプリケーション全体を、データベースを含めてエッジで実行できる。

しかしこの技術的可能性の拡大は、同時に選択肢の縮小でもある。Cloudflareのエコシステムは極めて統合されており、その内部では驚くほどシームレスに動作する。Workers、Pages、D1、R2、KV — これらは完璧に連携し、開発者はほとんど何も考えずに高度に分散されたアプリケーションを構築できる。だが、この便利さは特定の技術スタックへの依存を生み出す。Workers環境はNode.jsの完全な互換性を持たず、特定のAPIに依存する。D1はSQLiteの方言を使用し、PostgreSQLやMySQLとは微妙に異なる。一度Cloudflareのエコシステムに深く統合されたアプリケーションを、他のプラットフォームに移行することは理論上可能だが、実際には膨大な労力を要する。

これこそが「OSとしてのCloudflare」の本質だ。WindowsやmacOSがハードウェアの詳細を抽象化し、開発者に統一されたAPIを提供するように、CloudflareはWeb インフラの詳細を抽象化し、開発者に統一された実行環境を提供する。そして伝統的なOSがアプリケーションとハードウェアの間に介在するように、CloudflareはWebアプリケーションとインターネットインフラの間に介在する。開発者がCloudflareを「通して」Webを見るようになるとき、Cloudflareは単なるサービスプロバイダーから、Web空間そのものを定義する存在へと変わる。

興味深いのは、この変化がほとんど抵抗なく進行していることだ。開発者コミュニティは概ねCloudflareの進化を歓迎している。それは確かに便利であり、パフォーマンスは優れており、価格も魅力的だ。従来のクラウドプロバイダーと比較して、Cloudflareは帯域幅に課金せず、エグレス料金を請求しない。これは経済的に大きな利点だ。だが、この好意的な受容の背後にあるのは、単なる技術的優位性や経済的合理性だけではない。それは、インフラ管理の複雑性からの解放という、より深い欲望だ。

開発者は本来、ビジネスロジックを書きたいのであって、Kubernetesのyamlファイルを設定したり、データベースのレプリケーションを管理したり、CDNのキャッシュ戦略を最適化したりしたいわけではない。Cloudflareはこの欲望に完璧に応える。「インフラのことは忘れて、コードだけ書いてください」と囁く。そしてこの囁きは、抗いがたいほど魅力的だ。なぜなら、それは真実だから。実際、多くのケースで、開発者はCloudflareを使うことでインフラの複雑性から解放され、本来の仕事に集中できる。

だが、この解放は同時に新たな依存でもある。インフラの詳細が完全に抽象化されるとき、我々はもはやそれを理解する必要がなくなる。そして理解しなくなったものを、我々は管理することができない。Cloudflareのブラックボックスの中で何が起きているのか、データは実際にどこに保存されているのか、レプリケーションはどのように機能しているのか — これらは「知る必要のないこと」となる。我々は結果だけを享受し、過程については無知であることが許される。いや、無知であることが推奨される。

Web空間における新たな地層が形成されつつある。最下層には物理的なネットワークインフラがあり、その上にISPがあり、その上にクラウドプロバイダーがあり、そして今、その上にCloudflareのような「メタクラウド」が出現している。開発者とエンドユーザーは、この最上層だけを見て、下の層については何も知らない。これは効率的であり、便利であり、そして極めて集権的だ。Cloudflareが提供するのは分散されたインフラだが、その分散を管理するのは単一の企業である。パラドックスだ — 技術的には史上最も分散されたWebインフラを実現しながら、統治構造としては極度に中央集権化されている。

歴史は繰り返す。かつてIBMがメインフレームでコンピューティングを支配し、その後PCの登場により権力は分散され、インターネットの普及でさらに民主化が進んだかに見えた。だがクラウドの時代が到来し、権力は再びAmazon、Microsoft、Googleという少数の手に集中した。そして今、Cloudflareのようなプラットフォームの登場により、新たな集中が起きている。それはより洗練され、より見えにくく、そしてより抗いがたい形の集中だ。我々は自発的に、喜んで、この新たな統治基盤を受け入れる。なぜならそれは、我々を複雑性という重荷から解放してくれるから。

技術的必然性という名の下に、我々は選択の余地を失っていく。Cloudflareを使わずにグローバルに高性能なWebアプリケーションを構築することは、今日でも可能だ。だが、それは愚かしいほど非効率的だ。経済的合理性がCloudflareの使用を命じる。そして経済的合理性に逆らうことは、市場において死を意味する。かくして、「選択」は形式的なものとなり、実質的には唯一の道が残される。これは強制ではない。単に、他に合理的な選択肢が存在しないだけだ。

WebのOS。それは権力の新たな形態であり、統治の新たな様式であり、そして我々が熱狂的に受け入れる新たな依存の形だ。Cloudflareのエンジニアたちは、おそらく世界支配など考えていない。彼らはただ、技術的に優れたソリューションを提供しているだけだ。だが、技術の論理は独自の方向性を持つ。最も効率的なシステムが最も広く採用され、最も広く採用されたシステムが標準となり、標準となったシステムが不可避となる。そして気づいたとき、我々は既にその内側にいる。