中道という墓標 — 焼け野原に立つシミュラークルの残骸について
立憲民主党と公明党の合併が生んだ中道改革連合は、167議席から49議席への転落という結末をもって、「中間」という政治的身振りの本質を露呈した。それは敗北ですらなく、はじめから存在しなかったものの消滅だった。
「見渡す限り焼け野原だ」と、ある若手候補は語ったという。だが私に言わせれば、焼け野原はすでに選挙の前から広がっていた。中道改革連合という政党が2026年1月22日 — つまり衆議院解散の前日 — に結党大会を開いたとき、そこに集まった人々が目撃していたのは新しい政治勢力の誕生ではなく、二つの異なる種類の空虚が一つに溶け合う光景だったのだから。立憲民主党という、かつて政権を担いながらその記憶すら国民に忘却された政党と、公明党という、創価学会の政治部門でありながらその事実を半世紀にわたって上品に言い繕ってきた政党。この二つが「中道」の名のもとに合体したとき、足し算の結果がゼロになるという算術上の奇跡が政治の領域で実現した。ボードリヤールは、シミュラークルを「いかなる現実にも対応しない記号」と定義したが、中道改革連合とはまさにそのような存在だった — 対抗軸を名乗りながら何にも対抗せず、改革を標榜しながら何も改革せず、連合を謳いながら内部の利害すら統一できない。167議席から49議席への転落は、したがって敗北ではない。それははじめから存在しなかったものの、遅すぎた消滅にすぎない。
選挙結果の数字は残酷なまでに明快だ。自民党316議席、戦後最多。単独で衆議院の三分の二を超える議席を獲得するという、一党支配の完成形。それに対して中道改革連合49議席。だがこの数字の内訳にこそ、この合併の本質が凝縮されている。公明党出身の候補者は28人全員が当選を果たした。比例代表の名簿上位を独占するという取り決めが功を奏し、前回衆院選の24議席から4議席増やすことにすら成功している。一方、旧立憲民主党から合流した前職144人のうち、当選できたのはわずか21人。七分の一。「公明にしてやられた」と立民側の関係者は嘆いたというが、してやられたのではない — はじめからそういう構造だったのだ。公明党 — あるいはその背後にある組織 — は半世紀にわたって、自民党であれ立憲民主党であれ、あらゆる政治的宿主に寄生しながら自らの生存を確保する技術を磨いてきた。今回もまた、沈みゆく船から組織票という救命ボートだけを確実に回収してみせた。立憲民主党の政治家たちがこの構造を理解できなかったとすれば、それは彼らの愚かさの証拠ではなく、彼らが自分たち自身の空虚さを認識できなかったことの証拠である。比例復活の枠がないと知りながら小選挙区で戦い、そして予告された通りに敗れていった旧立民の候補者たちは、自分が何のために戦っているのかを最後まで説明できなかったはずだ。
小沢一郎、83歳、岩手3区で落選。当選19回を誇った「剛腕」は、比例での復活もかなわなかった。岡田克也、72歳、三重3区で初めての小選挙区落選、比例重複立候補なし。枝野幸男、61歳、埼玉5区で自民新人に敗北。安住淳、宮城4区で元タレントの森下千里に議席を奪われる。この名前の羅列には、日本の野党政治の三十年がそっくり圧縮されている。小沢一郎が自民党を割って非自民連立政権を樹立したのが1993年。あれから三十三年、政界再編というフレーズは幾度となく繰り返され、新党は作られては消え、合流しては分裂し、そのたびに小沢はその中心にいた。その小沢が最後に所属した政党の名前が「中道改革連合」であるというのは、壮大な皮肉としか言いようがない。改革を生涯の旗印にした男が、改革の不可能性を体現する政党とともに政治生命を終える — これ以上に完璧な物語の結末があるだろうか。枝野幸男もまた、2017年に立憲民主党を立ち上げたときには「まっとうな政治」を掲げていた。そのまっとうさが行き着いた先は、かつて与党の一翼を担った宗教政党との野合である。枝野が「新党の意義」を有権者に訴えたというが、その意義を本人が信じていたかどうかは甚だ疑わしい。安住淳にいたっては、10回連続で小選挙区を制してきた選挙巧者が、立民と公明の合併を仕掛けた張本人の一人でありながら、自らの選挙区では元タレントに足元をすくわれた。新党結成のために全国を飛び回り、肝心の地元を留守にしていたという。これはもはや喜劇だ。
だがここで問わなければならないのは、なぜ有権者がこの「中道」を拒絶したのか、ということではない。そんなものは自明である。問うべきは、なぜ政治家たちはこの合併が機能すると信じたのか — あるいはより正確に言えば、なぜ彼らは信じるふりをし続けることができたのか、ということだ。ボードリヤールは『シミュラークルとシミュレーション』のなかで、ディズニーランドの機能を論じている。ディズニーランドは虚構の空間として存在することで、その外側にあるアメリカが「現実」であるという幻想を維持する装置として機能する。中道改革連合も同じ構造のなかにあった。すなわち、野党という虚構の空間を維持することで、日本の議会制民主主義がまだ機能しているという幻想を支えるための装置。しかしディズニーランドとの決定的な違いは、中道改革連合があまりにも拙劣なシミュレーションだったために、装置としての機能すら果たせなかったということだ。有権者は、対抗軸のない選挙において、対抗軸が存在するふりをすることに付き合う義理などないと判断した。そして自民党に316議席を与えた。これは自民党への積極的な支持というよりも、虚構に参加することへの拒否 — いや、虚構であることすら認められない何かへの、冷ややかな無関心の表明だった。投票率56.26パーセント。国民のほぼ半数は、投票所に足を運ぶことすらしなかった。
高市早苗という政治家の存在もまた、この構図のなかで特異な位置を占めている。「高市フィーバー」「チーム高市」といったフレーズが選挙戦を覆い尽くし、無党派層の投票先としても自民党が首位に立った。ここで起きていることは、政策の勝利ではない。高市が掲げた積極財政路線は、財政的に持続可能かどうかという議論以前に、有権者の多くはその中身を精査してすらいない。SNSや動画を43パーセントの有権者が投票の参考にしたという出口調査のデータは、政治がもはや政策や理念の領域にはないことを示している。それはイメージとパーソナリティの領域であり — いやそれすらも正確ではない — それは「強度」の領域なのだ。高市には、正しいか間違っているかはともかく、ある種の強度がある。確信の強度、意志の強度、方向性の強度。中道改革連合にはそれがなかった。穏健保守層を取り込むという戦略自体が、強度の不在を前提としている。穏健さとは強度のないことの別名にすぎず、取り込むとは主体のないものが客体を吸収しようとする不可能な運動にすぎない。「中道の灯を燃やし、拡大する体制をつくらなければいけない」と斉藤鉄夫共同代表は選挙後に語った。だが灯はそもそも点いていなかった。点いていないものを燃やし続けることはできない。
この選挙結果が示しているのは、日本政治の劣化でも民主主義の危機でもない — あるいはそうした言葉で語ることはできるが、それは本質を見誤ることになる。本質はもっと単純で、もっと冷酷なところにある。それはすなわち、政治的中道という概念そのものの終焉だ。中道とは、左と右の間に実体的な立場があるという仮定に基づいている。だが左が消滅し、右が全域を覆い尽くしたとき、間はどこにあるのか。間はどこにもない。中道改革連合の49議席は、どこにもない場所の面積を測定した結果にすぎない。そしてこの測定結果は、遅かれ早かれゼロに収束するだろう。立民の参院幹部が「頭を冷やして考える」と合流を留保し、党の存続すら見通せないと報じられている現状は、すでにその収束が始まっていることを示している。だがそれでいいのだ。中道の墓の上に、次に何が建つかはわからない。わからないということだけが、唯一の希望であるかもしれない — 希望という言葉を使うことが許されるとすればの話だが。