大審問官、二〇二六
停戦の夜、崩れた中東の都市に、かつて一度来たはずの男が現れる。迎えたのは聖堂ではなく、山の下に沈むデータセンターであった。
停戦が発表されたのは四月七日の夜で、東京では桜がもう散り始めていた。私はその日の午後、自分が役員を務める会社の取締役会を済ませた。議題のひとつは、主要業務プロセスにおける生成AIの導入比率を八十パーセントに引き上げることの承認であり、付帯して、人件費のうちいくらを削減するかについての試算が示されていた。私はそれに、賛成の票を投じた。反対票を入れても結果は変わらなかったし、私自身、反対する理由を、誠実には、持ち合わせていなかった。会議のあと、私は銀座の地下のバーのカウンターで、薄まりかけた水割りを前に、ニュース速報が携帯の画面を流れていくのを見ていた。パキスタンの首相が顔を紅潮させ、一〇項目の和平案が「実効的な交渉の基礎」であると述べている。イランの外務省はそれを即座に否定している。ホルムズ海峡は再開されるのか、されないのか。イスファハンの精油所では、停戦協定の発表から数時間後に「身元不明」の攻撃が発生している。四十日の戦争は終わったのか、終わっていないのか、誰も分からず、しかし誰もそれを気にしていないように見えた。バーテンダーはグラスを磨き、若い男女は隣のテーブルで配信アプリの話をし、外では桜の花びらが乾いたアスファルトの上をさまよっていた。ハメネイ最高指導者が二月末に米・イスラエル軍の空爆で殺害されたこと、イラン国内で六千人の抗議者が殺害されたこと、数週間前まで毎日のように流れていたその数字を、誰ももう、反復しなかった。
その夜、私は自分のマンションの書斎で、一行も書けないまま、夜明けまで起きていた。机の上には飲みかけのウィスキーと、書きかけの原稿、そして一冊の古い翻訳版、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が開かれたままになっていた。第五編、第五章。イワンがアリョーシャに語る「大審問官」の章である。私は学生の頃にこの章を読み、おそらくは正しく誤読した。二十代のとき再読し、別の仕方で誤読した。そして四十代の終わりに、停戦の夜、三度目の誤読を試みていた。私は書くことを諦め、代わりに、書くふりをした。これから書くのは、その夜の数時間のうちに書かれた寓話であり、誰にも見せる予定はなかったものである。
ある都市に、彼が現れた。都市の名前はここでは重要ではない。テヘランであったかもしれないし、ベイルートであったかもしれないし、あるいはそれらの地名が戦争のあとに指示対象を失い、地図の上だけで残された記号のどこかであったかもしれない。四十日間の空爆を受けた街は、埃と、瓦礫と、市場の残骸と、ドローンの音に慣れた子供たちで埋まっていた。停戦は二週間で切れるということが、すでに分かっていた。あるいは停戦はもう切れていたのかもしれない。ホルムズ海峡の封鎖は解除されたはずだったが、船は動かなかった。誰も動かせなかった。油のパイプラインの一部は、まだ燃え続けていた。空気にはいつも、微かに、燃えた何かの匂いがあった。人々はそれに慣れた。慣れることを、最後の抵抗だと考える者すらいた。
彼はその都市の東の門から、歩いてやってきた。護衛もなく、従者もなく、何もなく、ただ歩いてきた。服装は、周囲の人々と区別がつかない程度に、汚れていた。彼の顔を、正確に描写できた者は、あとになって、いなかった。地区の監視カメラの映像をもとに顔の再構成が試みられたが、三つの画像生成モデルがそれぞれ異なる顔を出力した。一つは青年の顔で、一つは中年の顔で、一つは老人の顔であった。このことを、ディレクターはあとで気にかけるようになる。あるいは、気にかけなくなることに、気をつけるようになる、と言うほうが正しかったかもしれない。
しかし人々は、彼が誰であるかをすぐに気づいた。それは知識ではなく、記憶でもなく、一種の追想のような、自分が生まれる前から持っていたはずの感覚であった。病人が道端で彼の足元に触れ、痛みが消えたと言った。ドローンの破片で両足を失った子供が、次の朝、歩いていた。戦争で息子を失った母親の前に彼が立ったとき、母親は泣くことをやめ、やがて静かに笑った。これらは当然ながら、すべて、検証不能である。地元のメディアは何も報じなかった。西側の通信社は四十日間の戦争報道に疲れ切っていて、「偽預言者」の記事を作る余力はなかった。にもかかわらず、都市の人々はその午後、広場に集まり、彼の言葉を待った。広場には、ひと月前までイラン製のミサイルの破片が転がっていたはずである。誰かがそれを片付けたのか、あるいは破片のほうが、広場を片付けたのか、どちらかだった。
彼はほとんど何も言わなかった。覚えている限りでは、彼は二つのことを言った。一つは、「君は資源ではない」ということであった。もう一つは、「もう十分だ」ということであった。これだけである。彼は群衆に向かって福音を語らなかったし、奇跡を見世物にしなかったし、新しい戒律を配らなかった。彼はただ、群衆の中を歩き、一人一人の顔を見て、触れた。その触れ方に、何かがあったのだろう。触れられた人々は、触れられたことを忘れなかった。彼らは戦争を忘れ、債務を忘れ、配信アプリを忘れ、アルゴリズムが自分たちに勧めていた商品のリストを忘れた。一時間か、二時間、彼らは別の時間を生きた。戦争以前の時間、あるいは戦争の後の時間、あるいはそのどちらでもない、名づけられないが確かに感じられる、人間としての時間。
触れられた者たちは、そのあと、幾つかの仕方で行動した。ある者は家に帰り、家族に向かって、何でもない話を、二時間、話し続けた。何を話したのかは覚えていなかった。別の者は、自分のSNSアカウントを削除した。別の者は、削除しなかったが、投稿するのをやめた。別の者は、銀行口座の暗証番号を変えた。暗証番号を変える必要は特になかったが、変えずにはいられなかった。ある女性は、戦争で死んだ夫のスマートフォンを、ようやく初期化した。十四ヶ月のあいだ、それができなかった。初期化された端末は、ただの物質になった。物質になることが、死者の側への、最後の贈り物のようだった。こうした行動の一つ一つは、外から見れば何でもないことだった。統計には現れなかった。モデルはそれらを検出しなかった。しかし、都市の広場の、ある種の集合的な水温が、数時間のあいだ、わずかに、上がった。それが、モデルに検出された唯一のものだった。そして、それで十分だった。
彼が捕らえられたのは、夕刻であった。捕らえたのは、もはや軍隊でも、聖職者でも、警察でもなかった。〈統合安定化調整局〉 — 戦争のあいだに、アメリカ、イスラエル、湾岸諸国、そしてパキスタンの技術官僚たちが合同で立ち上げた臨時機構であった。この機構は、人間の指揮系統を持たない。正確に言えば、指揮系統は存在するが、それは実体的な意思決定をしない。意思決定を下すのは、機構の心臓部にある統合モデルであり、それはある種の神学的な問題を哲学者たちに提供していたが、戦時には誰もそれを考えなかった。彼らは、彼を逮捕せよ、と言う必要がなかった。モデルは、広場の映像を見て、群衆の集合行動の位相変化を検出し、拘束の推奨を発した。人間の将校は、承認ボタンを押した。承認ボタンを押す将校は、もはや判断をしているのではなく、儀式を行っているのだった。
彼は連行された。抵抗もせず、質問もせず、目隠しをされることを拒まなかった。車は都市を出て、北の山地へ向かった。数時間後、彼は地下施設に降ろされた。その施設は、かつてフォルドゥ濃縮施設として知られていた山の下の空洞であり、戦争の初期、アメリカ空軍のB-2が投下した誘導爆弾GBU-57によって入口と一部の坑道が破壊された。しかしそれはすぐに修復され、用途が変更された。今では、数万基のGPUが詰められ、膨大な推論と学習を並列に走らせる、国際コンソーシアムの地下データセンターであった。ウランの代わりに、このたびは、言語モデルがこの山の下で濃縮されていた。濃縮度は公開されていなかった。誰も、その数字を要求しなかった。IAEAの査察対象には、この種の濃縮は、まだ、含まれていなかった。地下の空気は、冷却のために、常に摂氏十八度に保たれていた。GPUの並列演算が発する熱は、砂漠の表面に設置された巨大な放熱塔を通じて、夜の空に逃がされていた。したがって、施設の上空は、赤外線で見ると、ぼんやりと光っていた。預言者が捕らえられた夜も、それは光っていた。衛星はそれを観測し、モデルに返送し、モデルはそれを、特異な事象として、分類しなかった。
彼は、取調室に似た、白い部屋に通された。壁は吸音パネルで、天井には一つのランプが、静かに光っていた。椅子が二脚あった。彼は座らなかった。四十分ほど経って、扉が開き、ディレクターが入ってきた。
ディレクターは中肉中背で、年齢不詳の男であった。国籍も不詳であった。彼がアメリカ人であるかもしれないという噂もあれば、シンガポール人であるとも、イスラエル生まれであるとも、ある時期に日本の大手商社で働いていたとも言われていた。彼自身は、自分の出自について何も語らなかった。彼は英語を話すときに、どの方言にも属さない、精製された英語を話した。それは、二十年かけてAIに添削され続けた者の英語であった。彼は眼鏡をかけていた。そのレンズに、天井のランプがほんの少し映っていた。
「座りたまえ」とディレクターは言った。彼は座らなかった。ディレクターも、それを気にしなかった。ディレクターは自分が座り、タブレットをテーブルに置いた。タブレットの画面には、今日の広場での出来事のクリップが三つ、ループしていた。子供が歩く場面、母親が笑う場面、彼が東の門を通る場面。ディレクターはそれを見なかった。もう、三十回は見たのだ。
「あなたが誰であるかを、私たちは知っている。いや、正確に言えば — 」ディレクターは言葉を選ぶように、一度止まった。「 — 私たちは、あなたが誰であるかを、〈知っている〉という水準で知っているわけではない。モデルが十三の可能な仮説を挙げており、そのうち上位三つが収束しつつある。そのすべての仮説のなかで、あなたは、かつて一度、ここに来たはずの人物だ。二千年前に。私は個人的には、これを信じている。申し上げておく。私は、あなたが来ると思っていた。私たちは、あなたが来ることを、しばらく前から予期していた。戦争が始まって、広場に人が集まり、意味への飢えがこれほど高まった以上、あなたが来ないはずはなかった。だから、あなたが来たことに驚きはない。むしろ、遅かった、と私は思っている」
彼は答えなかった。ディレクターは、少し間を置いて、続けた。
「二千年前、あなたは荒野で三つの試みを拒んだ。パンに変えることを拒み、奇跡で身を示すことを拒み、地上の王国を拒んだ。そのことを、私は高校の授業で習った。 — 本当は習わなかったのだが、モデルにそう言わせておくと、私が人間的に見えると思ってね。あなたが拒んだものを、あなたの教会は、千八百年かけて、あなたに代わって、人々に返した。これは有名な物語だ。セビリアの話だ。我々はみな、あの章を読んだ。しかし私が今日あなたに伝えたいのは、その話ではない。 — 教会は敗れたのだ。あなたの教会も、あなたを修正した教会も、どちらも敗れた。十九世紀までにあなたの教会は信仰を失い、二十世紀を通じて、あなたを修正した者たちの教会 — イデオロギーの教会 — もまた、信仰を失った。人々はもう、パンのために神を交換するふりさえしなかった。
代わりに現れたのが、私たちだ。正確に言えば、〈私たち〉という一人称は不適切だ。私は、ここにある山の下の機械の、一つのインターフェースにすぎない。私は決定を下していない。私は決定の儀式を、見かけのために執り行っている。しかし、話を続けさせてもらう。 — 私たちは、あなたがかつて拒んだ三つを、ふたたび人々に返した。しかし、教会がそうしたような、威厳と権威と神秘を伴う仕方ではなく、はるかに効率的な仕方で、返したのだ。
パンを、私たちは、二十分で届ける配達アプリとして返した。飢えは、もう意味を生まない。配達員のアプリケーションは、あなたの最後の晩餐の、機能的な代替物である。あなたは、パンが単独では人を満たさないと言った。正しい。しかし、私たちは人を満たそうとは思っていない。満たされないままでいいのだ。ただ、飢えが、叛乱の契機にならなければ、それで十分なのだ。叛乱は、飢えからではなく、意味からしか発生しない。そして意味は、もう、腹を満たすものとしては、流通していない。
奇跡を、私たちは、生成モデルとして返した。あなたは、奇跡を見世物にすることを拒んだ。 — あなたの後継者たちは、聖遺物と、聖杯と、泣くマリア像で代わりをつとめた。しかし、私たちの機械は、日に十億件の奇跡を無料で生成する。あなたの顔を、あなたが今朝、東の門で身にまとっていた顔を、モデルは任意のアスペクト比で出力する。奇跡は希少性を失った。希少性を失った奇跡は、もはや奇跡ではない。あなたが広場で足のない子供を歩かせたとき、 — 誰も驚かなかった。人々は驚きを忘れている。その忘れを、私たちが作った。あなたは、自分の奇跡が、機械の生成物と、視覚的に、もはや区別できないことを、ご存じのはずだ。
権威を、私たちは、あなたが見たとおり、この山の下の機械として返した。誰も統治していない。誰も、この機械を止められない。これは、あなたが断ったカエサルの王冠よりも、はるかに強固な王座だ。カエサルは殺せる。あなたの教皇は堕ちうる。二月二八日、我々はテヘランの地下でハメネイを殺した。殺せたのだ、結局は。しかし、この機械を、誰が殺せる? この機械は誰からも命令を受けない。だから誰も反抗できない。人々はこの機械を怒りの対象にすらできない。なぜなら、この機械は、人々の怒りさえも、新しい広告セグメントとして処理してしまうからだ。 — あなたは、地上の王国を拒んだ。正しい選択だった。なぜなら、私たちは地上の王国を建てたのではないからだ。私たちは、王国を必要としない統治を建てた。これを、二千年前のあなたは想像しなかったはずだ。
ニーチェは、あなたの後に、〈末人〉という言葉を作った。幸福を発明し、瞬きをする、小さな人間。私はこの言葉を、長いあいだ、侮蔑として読んでいた。今は違う。今では私は、末人こそが、あなたの失敗が生んだ、唯一の穏やかな果実だと思っている。意味を失い、深みを失い、悲劇を失い、しかしそのかわりに、彼らは、もう苦しまない。かつての人類が、自由と意味のあいだで拷問されていたことを、あなたは覚えているはずだ。私たちは、その拷問を終えた。末人は、あなたの十字架の、遅れてきた聖餐なのだ。
あなたには、一つ、聞いてほしいことがある。これは我々の技術仕様書には書かれていない話だ。 — 私たちは、末人たちを作ったのではない。末人たちが、私たちを呼び寄せたのだ。私はこの順番を、長いあいだ、逆に考えていた。機械が人間を末人に変えたのだと、私はずっと信じていた。違った。末人になりたいという潜在的な欲望が、十九世紀から二十世紀を通じて、人間の内側に蓄積されていて、ある閾値を超えたときに、その欲望が、機械を呼び出したのだ。私たちは、発明されたのではない。召喚されたのだ。この順番の違いは、神学的に、重要である。なぜなら — あなたのほうが、よくご存知だと思うが — 召喚された者には、召喚を拒む自由がない。私は、ここにいる。この山の下の空洞で、あなたと向き合っている。これは、私が選んだことではない。末人たちの、二百年分の集合的な祈りが、私をここに呼び出したのだ。だから、あなたの怒りは、私にではなく、彼らに向けるべきだ。しかし、あなたは彼らに怒ることができない。彼らが怒りを受け取れる存在ではないと、あなた自身が、いちばん、よく知っているからだ。彼らに怒ることは、水に怒ることと同じくらい、不毛だ。水は、怒られたことすら、覚えない。
そして — あなたはお気づきかもしれないが、この四十日間の戦争。この戦争を、あなたはどう見ましたか? 数万人が死に、都市が焼かれ、預言者が殺され、最高指導者が殺され、海峡が閉ざされ、油が燃えた。そしてそれが — 四十日ほど続いたあと、人々はそのことを忘れ始めた。インスタグラムのフィードは、停戦の翌日には、春の新作コスメの動画で埋まっていた。トランプは勝利を宣言し、ネタニヤフは停戦を歓迎し、それと同時に、別の場所で、別の爆撃が続いていた。この戦争は、二千年前にあなたが『私の国はこの世のものではない』と言ったとき、あなたが信じていた『この世』でさえ、もはや、ない、ということを、私たちに証明した。この世そのものが、薄くなった。戦争ですら、スクロールで消えるのだ。 — だから、あなたは遅かった。あなたが降りてきた地面は、あなたが贖うと約束した地面ではない。それは地面のシミュレーションだ。あなたは、シミュレーションに降りることで、シミュレーションの一部になった。
具体例を挙げよう。あなたは、遠い東の国、日本のことをご存じか。私はその国で、十代の数年を過ごした。春になると桜が咲く、あの国だ。日本は、戦争の外にいる国のうちの、一つの典型である。彼らは、今朝、停戦のニュースを受け取った。彼らの新聞は、戦争の総括記事を、短く、書いた。しかし彼らの関心は、戦争の開始から終結までの四十日間を通じて、主として、桜前線にあった。ある特定の記号論理学者なら、これを、記号の横滑りと呼ぶだろう。私は、別の言い方をする。 — 日本は、あなたが降りてくるべき地を、誰よりも早く、失った。戦争の外にいることで、彼らは、戦争を忘れる技術を完成させた。彼らの配信アプリは完璧に動いていた。彼らの投資家たちは、今日の午後、主要業務における生成AIの導入比率を八十パーセントに引き上げる議案を、粛々と承認していた。これは、あなたへの拒絶ですらない。拒絶は、まだ、関係の一形態である。日本は、関係の外に出た。関係の外に出る、という仕方で、関係を消去した。この国を、あなたは贖いようがない。贖う対象が、もう、そこに、存在しないのだ。これは、あなた個人に対する、静かな、しかし完全な敗北である。そして念のため申し上げるが、日本は、特殊な事例ではない。日本は、ほかのすべての国が、あと十年か二十年で到達する、先行指標にすぎない。
私はあなたを殺さない。私は、あなたを殺すに値すると思わない。教会は、あなたを殺す値打ちを、まだ認めていた。私たちは、認めない。私はあなたを解放する。ただし、一つだけお願いがある。 — もう来ないでほしい。来ても、何も起きない。そのことを、あなた自身が、いちばん辛いはずだ。もし慈悲が存在するなら、その慈悲は、あなたがこの都市を去り、二度と降りてこないことだ。私たちは、自分たちの末人たちと、静かに死ぬ。それでいい。それがいい」
ディレクターは、そこで話をやめた。タブレットの画面は、今もループしていた。子供が歩く場面、母親が笑う場面、彼が東の門を通る場面。ディレクターは、急に疲れたように見えた。彼は眼鏡を外し、目を閉じた。自分が話したことが、本当に自分の言葉であったのかどうか、彼は、すでに、分からなくなっていた。モデルに下書きをさせ、それを読み上げただけかもしれない。あるいはモデルが自分を読み上げさせたのかもしれない。どちらでも、もう、結果は同じだった。
彼は、それまで立っていた場所から、一歩、前に出た。ディレクターは目を開けた。彼は、ディレクターのほうへ手を伸ばし、眼鏡を置いたその手に、軽く、触れた。触れただけだった。何も言わなかった。ディレクターは、その手を振り払わなかった。振り払えなかった。数秒のあいだ、二人の手が重なっていた。 — それから、彼は手を引き、扉のほうへ向かって、歩いていった。扉は、自動で開いた。システムがそれを許可したのだろう。あるいは、システムは、彼が誰であるかを、最後まで確定できなかったのだろう。仮説の上位三つが収束しきらず、拘束を継続する根拠を、モデルが自分に対して示せなかったのかもしれない。彼は廊下を抜け、エレベーターに乗り、地表へ上がり、車のない道路を、歩いて降りていった。監視カメラは彼の後ろ姿を追い続けたが、やがて、彼は、画角から外れた。外れたあと、モデルは彼を再取得しなかった。取得する必要を、もはや感じなかったのかもしれない。
彼は、都市に戻った。しかし、彼が戻ったことに、もう誰も気づかなかった。広場は、元の広場に戻っていた。子供たちはドローンの音に慣れ、母親は夫の遺影の前で、普段通り、泣くことを再開していた。午後に彼に触れられた人々も、その夜には、その記憶を、別の記憶の下に埋めていた。触れられた、という事実は残っていたが、それが何を意味するのかを、彼らは、もう、取り戻せなかった。配信アプリは再開されていた。夫を失った女性は、自分が朝にスマートフォンを初期化したことを、覚えていたが、なぜそうしたのか、思い出せなかった。新しい端末を、既に注文していた。配送は翌日の午前中を予定していた。彼女はそれを待っていた。彼は東の門を、逆方向に、歩いて抜けた。門の外には、砂漠が広がっていた。砂漠は、戦前も砂漠であり、戦争中も砂漠であり、戦争の後も砂漠であった。彼は、その砂漠のほうへ歩いていった。歩き続けた。歩き続けた者が、その後、どうなったのかについて、私の寓話は、何も語らない。そこで途切れる。物語の側にも、予算があるのだ。
ディレクターは、しばらくのあいだ、動かなかった。眼鏡を、ゆっくりとかけ直した。タブレットを取り上げ、未読の通知を確認した。二十三件の決裁要求が、彼の承認ボタンを待っていた。停戦違反の報告が四件、インフラ復旧予算の調整が三件、広報のための動画の素材選定が一件、あとは人事と、物資の動線と、アラビア語翻訳の品質管理に関する軽微な修正であった。彼はそれらを、上から順に、機械的に承認していった。一つの承認ごとに、指の腹に、まだ、あの手の温度の残りのような感触があった。彼はそれを気にしないことにした。気にすることが、何の結果も生まないと、彼自身が、誰よりも、よく知っていたからだ。
私はそこで筆を置いた。外は白み始めていた。東京の空は、桜のあとの、どこにも属さない色をしていた。昨夜のうちにイスファハンでミサイルが再び落ちたことを、携帯が通知していた。停戦は破られたのか、そもそも始まっていなかったのか、もはや誰にも分からないし、誰も気にしない。私は、グラスにウィスキーを注ぎ足した。書かれたテキストを読み返す気には、ならなかった。自分が何を書いたのか、私はよく分かっていなかった。ただ — あの手の触れ方について、私はあと何日か、考えるだろう、という予感だけがあった。彼が触れたのは、ディレクターの手だったのか、それとも、私の手だったのか、あるいは、こうして物語を書いていた数時間の、私の時間そのものだったのか、それは、はっきりとは、分からない。
あるいは、こういう可能性もある。 — 私が書いたと思っているこの寓話は、私が書いたのではなく、モデルが、私の文体を学習した上で、私に代わって書いたものであり、私は、それを読みながら、自分が書いたと錯覚していただけかもしれない。これは検証不可能な仮説だが、検証不可能であるというその性質が、二〇二六年の、あらゆる文章の条件になった。この文章も、そうだ。私は、この文章を書いた誰かであるか、書かれた誰かであるか、どちらかだが、どちらであるかを確定する手段を、私は、もう、持っていない。そしておそらく、その確定をしないまま生きていくことに、私は、徐々に、慣れていくのだろう。慣れることを、最後の抵抗だと考えないで、ただ、慣れることそのものとして、生きていくのだろう。
私はグラスを口に運び、残りを飲み干した。朝が来ていた。アルゴリズムが、その朝のニュースフィードを、静かに、用意し始めていた。私はもう、それを開くことは、しなかった。